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聖家族の祝日  Festum Sanctae Famikiae    降誕祭後8日中の主日(主日のない場合は12月30日)  祝日


 家庭は国家、社会の基礎である。各家庭が向上、或いは堕落するにつれ、国家、社会も向上、或いは堕落する。されば聖会は各家庭、従って人類社会を聖化向上せしめる為にこの上ない立派な鑑を示した。それはヨゼフ、マリアの両聖人の他に主イエズス・キリスト御自らその限りない御聖徳を現し給うた聖家族の御生活に他ならない。
 既に遠い以前から聖会内には、聖家族に倣い奉る事を目的とし、聖家族への尊敬を世界に広めんとする会が出来、ピオ9世教皇はこれを大兄弟会に昇格させ、レオ13世教皇はこれを全世界に普及発展せしめ、そしてベネディクト15世教皇は遂に全教会に守らしめむべく聖家族の記念日を設けられたのである。
 聖家族と言えば、先にも記したが、キリスト教に就き少しでも聞いたことのある人ならすぐに解る如く、イエズス、マリア、ヨゼフの御三人を指す。即ちヨゼフを家長とし、天主の御母を主婦とし、イエズスを御子とする御一家を言うのである。そしてその聖家族と呼ばれる訳は、至聖なる天主御子がその御家庭に肉となってお生まれになったのみならず、御三方とも未曾有の徳高い聖者であらせられたからである。
 普通の家庭と聖家族の御家庭を比べると、誰しもそこに大いなる差違の存する事を認めねばなるまい。というのは、普通の家庭では家長たる父が最高で母が之に次ぎ、それから子供達という順序であるのに、聖家族の御家庭では、却って御子のイエズスが最も高く尊いのである。何となれば彼は常の人間ではなく、実は永遠に存し給い、且つ御父、聖霊と共に天地万物を無より創り給うた全能の天主に在すからである。従ってその御誕生の模様も我等のそれと大いに選を異にし、聖霊の奇特に由って最も純潔な少女聖マリアの御胎内に宿り給うたのであった。さればヨゼフはイエズスと血縁のある実父ではない、ただ御養育の為天父より選ばれた養父に過ぎぬのである。が、聖マリアはそうではない、御子にその清らかな御肉と御血とを伝えた、紛れもない実母に在す。それ故聖家族の順序を定めるならば、マリアこそヨゼフの上位におかねばならず、かくて御子、御母、御父という聖家族の順序は、父、母、子という一般家庭の順序とは全くはんたいになっているのである。
 この御三人は、いずれ劣らぬ聖なるお方であった。皆あらん限りの力を尽くして天主の御旨を、微細な点に至るまで実行しようと努められたからである。
 ナザレトにおけるキリストの私生活に就いては、聖書に「彼はナザレトに至りて彼等に順い居給えり」としか記されていない。聖ベルナルドはこれを説明して「どなたが順い給うたのか?誰に従い給うたのか?、天主が人に従い給うたのである。ああ何という筆舌に尽くし難い御謙遜であろう。然し実際世の創造主は畏くも被造物にお従いになったのであった。それは御自ら尊い模範を示して、我等にも天主に定められた長上に従うべき事を教え給う為であった。とはいえ、従い給うたのはイエズスばかりではない。マリアも天主の御定めによって御自分の指導者及び保護者となられたヨゼフに従い、そのまたヨゼフも、かのエジプトへの避難並びに本国への帰還の時に見られた如く、天使に伝えられた天主の御命令によく従われたのであった。
 かように聖家族は従順の鑑であるが、そればかりでなく、祈祷の模範とも言えよう、聖なるこの御三方は、絶えず心に於いて天主と交わられた上に、朝、晩食前食後の祈りも欠かさず共にされ、聖書を愛読され、安息日や祭日には打ち揃って会堂に行かれたからである。
 彼等はまた天主の思し召しによって、自ら生計を立ててゆかねばならなかったから、毎日の仕事も怠られるようなことはなかった。聖ヨゼフは大工であった。従ってその激しい筋肉労働こそ天主に我が身に命じ給うた天職とかしこんで、日々額に汗して愛する御子、聖母の為生活の費用を儲けられた。また聖母は一家の家政をとる他、中等の教育を受けられた御身分にも拘わらず、煮炊き、掃除、皿洗いなど卑しく煩わしい仕事に至るまで喜んでこれを果たされ、御子イエズスはその御年齢に応じて、勉学や御両親の御手伝いに努められたのである。かようにして聖家族の模範的な御生活は、しみじみとした平和なものであった。彼等は共に苦楽を分かち、互いに助け合い励まし合って善徳の途を進み給うた。従って天主の御祝福が常にその御家庭の上に止まっていた事は、もとより申すまでもない所である。
 聖ヨゼフは、イエズスが公生活に入られる少し前、その天主聖子と、天主の聖母とに看取られつつ、人として空前絶後の幸福な臨終を遂げられたが、それも彼がわが手に託された聖母子保護の大任を首尾よく果たした類なき功労への当然な報酬と言うことが出来よう。

教訓

 キリスト信者の家庭では誰しも聖家族に肖らねばならぬ。即ち子供は主の如く両親に従順であり、両親はマリアとヨゼフの如く、配偶の子供への義務を忠実に果たすべきである。そうすれば社会は善に赴くばかりで、総ての階級闘争は跡を絶ち、安寧と幸福を招来するに至るは疑いない。